レプリカ

 知り合いに誘われて訪れた知らない芸術家の個展は、やはり知りもしない小さなアトリエのような場所で開催されていた。海、家、鮎、赤ん坊、椿。様々な景色が目の前を流れていく。触れた記憶があるものとないものが奇妙に共存する中で、後者をモチーフにした書画が特に多く並んでいた。

  アトリエ内は静かで、足裏に靴底を隔てて伝わるマットの毛羽立ちにすら意識が向く。ざりざりと直らないすり足歩行をしながら、心を奪われるでも攫われるでもない。ただ少しだけ奥の方からざわめいてくるような感覚にじっと身をゆだねている。誰も何もしゃべらない、特段何の音も聞こえてこない空間は、不思議と満ち満ちているような気がした。

 足が止まったのは、真っ赤な富士山の前でだけだった。周りを陽炎が取り巻いたり、雲が通り過ぎたり、自由に変化していく。その中で真っ赤な富士山だけが変わらないまま、一連の映像はまた同じ道をたどり始める。

 絵の前に鎮座していた椅子にすとんと腰を下ろして、何をするでもなくプロジェクションマッピングの様子を見つめ続けた。相変わらず音はひとつもしてこない。真っ赤なその姿を自分みたいだな、と言うには、あまりに雄大で、変わらないことが反対に強さに見えた。結局何も言えないし、何も思えなかった。だから目を閉じた。

 

 空間には自分1人だけになっていた。いつの間にかあたりは夜に襲われていて、プロジェクションマッピングもとうに終わっているようだった。見回せば、遠くにぽつり、豆電球みたいに頼りない光に気が付く。そっちへ歩いてさえ行けばここから出られると立ち上がったが、唐突に思う。ここから出て、どうするのだろう。そうすると歩けなくなった。また椅子に戻って、あっけなく座り込む。

 なあ、と同意を求めるように目の前の山に小さく声をかけた。当然ながら何も返ってはこない。本物でもあるまいに、やまびこのような響きがもたらされていた。

 閉館時間は、とか、スタッフは、とか、そして知り合いは、とか、色々考えることはあったのだが、吸い込む空気に多少の埃っぽさに、こういう終わりもアリなのかもしれない、ということしか浮かばなくなった。変われないままここまで来てしまったけど、どうなりたいかもまだわからないで。持たなくていい自分というものを求めていた事実に簡単に背を向けることができたから、求められることは好きだった。副産物的に生まれるこだわりのようなものを、別に自分自身のものと思ったことはない。

 

 自分の名前を呼ぶ声がした。富士山は依然変わらず、目の前にそびえていた。