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自己肯定感(じここうていかん)とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉であり[1]、自尊心(英語: self-esteem)、自己存在感、自己効力感(英語: self-efficacy)、自尊感情などと類似概念であり同じ様な意味で用いられる言葉である[2][3][4][5]。現在、これらの言葉は多義的に用いられることが少なくなく、結果としてあらゆる肯定的な心理的要素を表現する包括的名称(umbrella term)となっているという指摘がある[6]。/自己肯定感-Wikipedia

けん‐きょ【謙虚】
〘名〙 (形動) 謙遜で、心にわだかまりのないこと。ひかえめで、つつましやかなこと。へりくだって、つつましやかにすること。また、そのさま/謙虚とは-コトバンク

へり‐くだ・る【▽謙る/▽遜る】
[動ラ五(四)]相手を敬って自分を控えめにする。謙遜けんそんする。卑下する。/謙るとは-コトバンク

まゆずみの「プティはあんな感じだからわかんないけど、あれるさんとうるはが思い入れ持っててくれる感じなのはありがたい」という言葉がなんとなく引っかかってる繁忙期こと年度末。わたしみたいなペーペーでもこれなのに、将来的にどうなっちゃうんだろ……とか思い始めると相変わらず仕事やめたいし、日付変わる直前くらいに来ているメールを見て窓から投身したくなる、そういう日々です。

日記にも書いたけど、「ありがたい」ってつまるところ「有り難い」で、「そんなことなかなかない/なかなかに有り得ない」だと思ってしまっているからこそ、きっとこんなに引っかかっている。引っかかってほしいところじゃないだろうけどね、本人は。でも、だからこそナチュラルな発言から垣間見えるまゆずみの自意識の在り処、みたいなものを、ぼんやりと切り取って考えてしまうのかもなあ。

ありがたい、には、うれしい、も恐れ多い、も混じってて、この人謙虚とかっていうかこういうところは自己肯定感の低さみたいなの滲むよね、と思った。

自分の言葉ながら、ああそうだなあとか納得しているあんぽんたん。笑 だけれど、じゃあ謙虚と自己肯定感の低さの違いって何、どこで違いを覚えるのかなと、眠すぎて回らない頭がこういうところでだけフル回転してしまう。いや眠すぎるんだけど週末まだか……。

自己肯定感の低さというもの/事象を、自分が存在していることへの肯定感、自分って何?と、わからなくても、わかっていても、目指したいものがあってもなくても、ただただ自分を愛せる力、がなかなか身についていないという状態に換算して考えてみると、まあ正直、その筆頭に浮かんじゃうのってあきなくんだなと、比較対象みたいに持ち出してしまって本気でごめんなんだけど。ww

そんで「俺自分のこと人類最底辺だと思ってるから」とか全然なんの衒いもなく言い出すあきなくんの自尊心が相変わらず地底に埋まってて笑えない。笑

己の日記からの引用多すぎてわろた。わたしはあきなくんの配信を追っかけているわけではないので(まゆずみで手一杯すぎる上にまゆずみすらまともに追えているとは言い難い)直近の発言だとさえずみ凸の際のこれくらいしかわかりやすく自己肯定感の低さを感じるものってないわけだけど。まあそもそもそんなに頻繁に「このひと自己肯定感低いなー……」と思わされてたらまじで身もたないよ。笑 

人類最底辺、って何を指して言うのだろう。とか思う。わたしは自分の自己肯定感の高さを認めるのがちょっぴり恥ずかしくてあんま見ないふりして自己肯定感低い人に擬態して生きてる(最悪)から、根本的に自己肯定感の低さに苛まれて病んだりしたことはない。ので、たぶんあんまり根本的にその闇を理解することはできないし、ただただ自分が今そう在るのは、幼少期の(に限らず育ってきた)環境に起因すると思うので、なんかほんと感謝だなー。いや隙自語やめてもろて……?!まあそれはそれとして、人類最底辺とは、何からくる自負なのだろう。自分は何もできないという劣等感?やってもやっても中途半端なところにいると感じてしまう惨めさ?結局のところ、そういう自分から変われないという絶望?わかんないけれど。

わたしの自己肯定感が低くない理由って、たぶんわたしが果てしなく他人に興味ないから、なんだけど……。笑 ものすごく比較されて育ってきたから(どこまでも愛されて育った自覚はあるけれど、同時に比較されることもかなり多かったという記憶もある)他者から受け取る「比較」にはまじで敏感だし本気で嫌いでやめてほしくてぶちのめす!!!!と発狂するのだけど、じゃあ自分の中にそういう比較の不等号が発生してくるなんてことがあるかと問われると、まじで微塵もそういうことはない。まあさすがにテストの点とかで差つけられたらめちゃくちゃ落ち込むけどもうそういうのって向き不向きも多少あるじゃん!←この考え方がポイントなのでは?たとえば文章の優劣。わたしが他者の文章を読んで、この人の文章上手いなーって思うことがあっても、「どうやったらこんなこと考えつくんだろ」と思うことがあっても、それはただの他者への評価であって、自分の評価に影響してくることってない。文章上手いなー!終了。それだけすぎる……。どんなことにもあれにもそれにも絶対的価値なんて正直どこにもなくて、なんてことをごくごく自然に思うのは、ここでは受け入れられないわたしでも、他のところではきちんと受け入れられて評価されて、みたいな経験を思春期から重ねてきているからかな。これはかなしいかな友達がいない人間の戯言なので、あきなくんには難しい話なのだと思う。笑 わたしはわたしだよ、という自意識がかなり強いのだと思うのよね、わたしはね。あきなくんはおそらく自分を代わりがきく存在だという自負が少なからずある気がして、そういうのを勝手に垣間見る度、いみわかんないくらい叫び出したくなる衝動に駆られてしまう。話逸れてるなあ。笑 あきなくんはそういう自分を隠しきれないのだと、勝手に思ってるし、そうであることがあきなくんのかなしさであり可哀想さであり、かわいさで愛らしさで、在り得るのだと、まあそんなことを思う。

反面で、まゆずみは価値観の自己開示はすれど、共感覚の開示はあんまりしない、そういう人かなーと思っていて。だからなんていうか、珍しいなって思ったんだよね。あの伝の話で、そういうまゆずみのありのままがぽろっとこぼれ落ちたことが。自虐でもネタでもない、何にもパッケージングされないまゆずみの所感そのままなんじゃないかと感じられる言葉だったから。だからこんなに大々的に受け取ってしまってるのかなあ。心にずっと引っかかってるんだよ、本当に。ネタに、エンタメに昇華しないまゆずみの気持ちがこぼれ落ちたことなんて、わたしが知り得る中では一度もなかったから。そういうプロ意識が好きってのは、もちろんのことだけどね。

へりくだるという行為、行為?かはわかんないけれど、まあそういう気持ちの使い方は、果たして自分が自分である(自分であってもいい)という自意識に関係してくるものなのだろうか?んー、むずかしい話。仕事で頭使いすぎて頭回らなくなったのかなしい。。。 w でも謙虚であることって、自分の才を認めないことではないよね。相手を敬って自分を控えめにする……この場合の控えめにするって何だろう?あまり大きな声で自分をアピールしないでいること?わたしなんて、と言葉に出すこと?「とんでもないです」という言葉で否定される自分の才気、その時点でしんでしまう気がするよね。それは自己肯定感の低さの方につながってゆく気がする。

わたしはたとえば文章を褒められた時、嬉しいです、とまず真っ先に伝えるそのあとに、でもまだまだなんです、と言いたくなる。謙虚って、この「まだまだなんです」にかかる言葉なのでは?いやわたしはへりくだってるわけではなく本気でそう思ってんだけどさ。笑笑 でも文章を褒めてくれた人からすれば、それは紛れもなくへりくだりなわけで。自分が自分である前提は不変だが、まだ先にも道は続いているのだ、という……そういう感じ……。不変を褒められたことを喜びつつも、その道の先がちゃんとありますということを示すことが、謙虚さ、へりくだりの根底な気がする。今考えながら書いたから文章ぐっちゃんぐっちゃんだよ。

まあつまるところ、まゆずみが選んだ「ありがたい」という言葉にかかる上下関係、みたいなものを感じてるんだよね、端的に言えば。俺と仲良くなってくれた、というよりは、俺「なんかと」仲良くなってくれた、特別に思ってくれた、という、副詞が強烈に作用している状態。これはへりくだりではない、ただただ不変を疑っている自己肯定感の低さなのかな、と思う。もしかすると、特別に思った人が特別に思い返してくれるということに慣れていないがゆえのことだったのかもしれないし、どちらにせよ、きっとどこかで終わることを想定していることが、なんとなく嗅ぎ取れるような、それって少しさみしいね。

こういうところで、まゆずみとあきなくんは通じ合っているのかもなあ。まゆずみはたぶん、人生で「ままならない」と、「どうしようもない」と、「手が届かない」をいくつも重ねてきた人で、それがきっとまゆずみが寄り添える人間の数を、特徴を、増やしてきたんだと思うのだけど、でもそれってちゃんと、しっかりかなしいことでもある。まゆずみは虚脱感、あきなくんは空虚感、それぞれ抱えているものは違えど、きっと何かが共鳴している、のかもね。倍音のように。

あー何の話したかったのかな。わかんなくなっちゃった。笑 まゆずみのことについて考えていることをこんなに吐き出したのって初めてかもしれない。誰にも見つからないことだけを願って、宇宙にこれを埋める。

君の旅した街を歩く
訳もないのに口を出てく
昨日まで僕は眠ってた
何も知らずにただ生きていたんだ
それだけなんだ

「今日、死んでくような そんな感覚があった」で始まる彩度の高いこのうたがだいすき。まゆずみがそんなことを思えるほどにだいじにおもえる人達にであえたってことが、にじむほど絞るほど色濃く伝わってくるから、言葉を尽くしたところでそれだけが凪ぐように莫大にうれしくて、こんな文章の全てが杞憂に決まってる、って、そう思えるよ。