憧憬

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言葉が出ない時期、ってある。いや時期とかいうより、習慣化ができてるかできてないかだけの差ではあると思うけど。先月1ヶ月で言語化の習慣化は死に絶えてしまい、色んなエントリを上げようとした痕跡だけはあって、それを見ているとやっぱり自分がいかに疲弊していたか(しているか)というのをひしひしと感じる。笑

【#ふわぐさ3Dライブ】叶えたかった夢【不破湊/三枝明那/黛灰/にじさんじ 】 - YouTube

そんな中でも少し書き残しておきたいと思った。もしかすると各所に失礼なことを書くかもしれないけど、正直な自分の気持ちをどこかに記しておきたいから、ここで。

ふわぐさ、という二人三脚を、どういう気持ちで見ていたらいいかわからない。というのが正直なところだったし、今もそういうところは少なからずあると思う。そもそもわたしは「自分の好きな人が『好きな』人たち」というものにまで興味を持つのがとても苦手で、わかりやすく書くのならば、わたしはふわさんのことにもあきなくんのことにも、さらに言えばふわぐさのことにも、特段興味がない。すべては推しに興味を左右される。そういう人間だから、メッシャーズは好きでも、さえずみは好きでも、ふわまゆは好きでも、ふわぐさに同列に興味があるわけではないし、そのことについて、申し訳なく思うことも、情けないと思うこともない。そういうものだな、と思うから。好きな人を好きなだけの、消費者でしかないと思うから。だけれど、ただ、好きな人の好きな人というものが、わたしの目にすら少し特別に、少しきらめいて映る。そういう事象はわたしにも変化なく起こることだったというだけだ。ふたりを見る時はいつもなんだかそわそわする。所在がなくて、だけどずっとどこかで、ふたりの関係を羨ましいと思っている。知りもしない、知ろうともしていないくせに。きっと目映いのだ。知ろうとしないからこそ。

まゆずみを見ていると、安心する。低い声で淡々と、ある意味で陰気にぼそぼそと、決して日の当たらないようなアンダーグラウンドな場所で、それなのにひとりではないと思える。わたしのような人間がふたりもいてたまるか、と思う心とは裏腹に、わたしのような人間がわたし以外にもいるんだと、心の底から安堵する。彼はわたしとは似て非なる人だけど、いや、わたしなんかとは全く違う、才気煥発な人であると思うのだけれど、ただ誰も知らないようなゲームを、昼やら夜やら、わけのわかんない時間に、ひとりでぽつりぽつりとどうでもいいことを話しながらやっている彼を見ると、時折こちらに視線だけを寄越して、ここにいるよなと言ってくれるような錯覚に陥る。くらくてもしめっててもつまんなくてもだるくても、ひとりじゃないよって直に言われるよりずっと、ひとりじゃない気がする。

そういうまゆずみが吐露する内側に、わたしはいつも強く感化される。才気煥発だろうが、博識だろうが、何ができようが、悩むこともつらいこともあって。当たり前に。わたしと違う人だな、と思うのに、わたしと同じようにねちねちうじうじして、たくさん言葉を詰まらせて、ようやく吐いた言葉はあまり整理ができていなくて。時折垣間見えるそういった部分に、泣きそうになる。強く揺さぶられる。ああこの人、とてつもなく不器用だなあって。歌の話をするまゆずみは、いつもそんな風な様子を感じさせる気がする。

まゆずみにとって、歌。歌がこの人に与える負荷を、いつも考える。上手く歌えないこと、納得がいかないこと、期待に応えられないこと、それでも納得のいかないままの作品を世には出したくないこと。全部に苦しめられているのだろうな、なんて容易に想像がつく。高いプライドがまゆずみを同様の高みに連れていくこともあるけれど、まゆずみを叩き落として首を絞めることだってある。やりたい、できない、やれない、できない。雁字搦めとはこのことかと。

まゆずみがうたを歌うことを、わたしは別に待っていない。これが解釈違いだ、とひと口に言ってしまえる感情なのかどうか、自分にすらわからないが、とにかくわたしは、彼が音程に声を乗せることを特別望んでいるわけではない、と思う。いつものように薄暗い部屋の中で、ぼそぼそ独り言みたいに、大した正体はない何かに語りかけてくれるなら、本当にそれ以上ってない。

でもふと思い出す。「ふわさんってまゆずみさんに歌ってほしがってるんですよ!」というふわさんのオタクの言葉。「メシャでなんかしてぇな」というふわさん自身の言葉。

本当にそれ以上ってないのかな、とか。いや、ないんだけど。

不破湊🥂✨ on Twitter: "【#ふわぐさ3Dライブ】叶えたかった夢【不破湊/三枝明那/黛灰/にじさんじ 】 https://t.co/EKYuyQNdrq @YouTubeより 日時:5/8(日)21:00~ 出演:不破湊、三枝明那 黛灰(影ナレ) 会場:不破湊チャンネル 待たせたみんな GW最終日 夢のふわぐさ3Dライブやります 最高の思い出作るぞ… https://t.co/W5RMtSBCPb"

告知ツイートを見た時に、もう何を言えばいいかわからなくなってしまった。「この企画ふわっちが持ってきたんよな」というあきなくんの言葉を聞いて、もっとわからなくなった。ふわさんが依頼したのだろうか。あきなくんが背中を押したのだろうか。親友って、何だ。わたしはことごとくふわさんのことがわからないし、あきなくんのこともわからない。わかる気もない。ただ、ふたりが、ふわさんが、わたしが思ってるよりずっとずっとまゆずみのことを大事にしてくれている。それだけはわかる。何かが起こるのだろうな、と思った。

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思ってはいたけど、こういうこととは思わなかったし、同時にこれが今のまゆずみができる精一杯なんだろ、と思った。もう本当に可笑しくてばからしくて、ひとしきり笑った後、わけわかんなくなって泣いた。嬉しいと思った。

まゆずみは、歌はないと思ってほしいって言っていた。まゆずみからのネガティブなお願いは、それ以外にほとんど聞いたことがない。本当につらいのだろうなと思った。手に取るようにわかる。わかってほしくもないだろうけど。いや、そもそも注意はすれど、お願いなんてほとんどしない人だから、わたしはこの人のお願いをなるべくこの人の意に沿う形で受け入れたいと思ったし、そもそもの心境としても無理してうたを歌うことなんてないよ、と思った。本当に。本当にそう思っていたんだよ。

でもなんだろう、この気持ち。呼んでもらえて嬉しいって言うまゆずみ。ノリノリでパーフェクトヒューマンやるまゆずみ。ふたりの間、真ん中に、ステージに立ってるまゆずみ。まゆゆまゆゆと気が狂いそうなリズムを刻み続けるふたり。暴れ散らかしてるふたりと対照的にほぼ動かないまゆずみ。びっくりして笑って泣いてるコメント欄。なんかもう、なんか、わかんないけど、すごい嬉しかったんだよ。何回も何回もありがとうなあ!って言ってくれるふわさんも、にこにこしながらそれを見てるあきなくんも、ちょっと戸惑い気味のまゆずみも、なんかもうどうしようもないくらい嬉しかったんだよ。なあまゆずみ、君をこんなに思ってくれる人がいるよ。こんなにも好きでいてくれる人がいるよ。それが、それだけが、意味わかんないくらい嬉しいよ、わたし。

ふわぐさをどんな気持ちで見ていたらいいのかわからない、って、そんなものはちっさいちっさいプライドの屍骸だったと知る。まゆずみ抜きで、わたしの分身みたいなまゆずみ抜きで、わたし抜きで、ふたりだけで楽しそうにしないでよ、なんていう。ばかだったなって今ならわかる。ねえ、わたしが思っているよりずっと、まゆずみはふわさんに、あきなくんに、思われているよ。大事にされているよ。ふわさん、何度もまゆ、まゆ、って呼んでくれてありがとう。この場に引っ張り出してきてくれてありがとう。ふわさんがまゆずみを掬うことで、わたしという人間が救われている。本当にありがとう。

まゆずみが楽しそうでよかった、なんてそんな親みたいなこと言えない。でもそんな親みたいなことで嬉しい。良かった、良かった、嬉しいね。

まゆずみにうたを望まない、というのは、変わらない。これから先も、たぶん変わらない。だけど、そんな矜恃さえ吹き飛ばしてしまうくらいの衝撃で、感動で、それで、それで。言葉を尽くしても尽くしても足りない、そういうものだった。ステージに立つまゆずみってものが。まゆずみが立つステージってものが。だから、望みはしないけれど、いつかどこかで出会えたら、なんていう憧れだけ持ってもいいかな。口には出さない、これからもう二度とこんなこと書かない、だからそれだけをゆるしてほしい。うたを歌う君を、わたしはいつか見たいと、そう思えたのかもしれないから。

影ナレを邪魔されるまゆずみにどうしようもなくまた涙腺が緩んだ。こんな関係性になれて良かったねっていうあきなくんの言葉が不破さんに向けられていること、あきなくんをこの世の全部に知らしめたい!と言わんばかりのふわさんの行動力の権化、なんかもう、ふわぐさはふわぐさでぐっちゃぐちゃになるくらい"アンサー"をたくさん残していて、そんな場所にまゆずみが呼んでもらえたこと、わたしがこのステージに立ち会えたこと、なんかもう全部全部、奇跡みたいで。だからこの先も、このすべてを、取りこぼさないよう強く握りしめて生きていたいよ。