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昨晩からぐちゃぐちゃずっと考えている。ぐちゃぐちゃです。仕事で疲れてるから深いところまで考えられないのかと思ったけど、ちゃんと寝て起きても別に変わんなかった。少しずつまとまってきてはいるのかもしれないけど、遅すぎて亀の歩みだよ。

 

わたしはたぶん、まゆずみのことを人より好きでいられてないんだろうなあ、というのが、彼の活動にふれるようになってからずっと、正直な所感として自分の中にある。人より配信を追えていないし、人より活動に疎いし、人よりまゆずみのことを考える時間は少ない。と、思う。まゆずみのことをいちばんに好きでいる人からしたら、わたしなんてにわかなのだと思うし、そもそもファンですらないのかもしれない。自分でもそう思う。わたしってあんま、まゆずみのオタクです、とか、まゆずみのファンですっていう文言を使わない方がいいんだろうなあって。

でも、そんな言葉が使えようが使えまいが、わたしが今、まゆずみの活動終了について、何かしらの気持ちを抱いていることっていうのは、事実としてある。それはどんな形であれ、わたしはこれまでの1年とちょっと、少なからずまゆずみにふれてきて、その中でまゆずみを好きだと思い続けてきたからだと、勝手に思ってる。

 

昨日は急遽仕事に行かなきゃいけなくなって、いつも通りの時間に起きて、いつもと違う交通手段で出勤して、いつもと違う仕事をして、いつもと違う交通手段で退勤してきた。だからと言ったらあれだけど、まゆずみのお知らせ配信が21時からあるのは知ってはいても20時前くらいの時点でどうしても眠くて、正直頭からすっぽ抜けていたし、正直あんま見るつもりはなかった。でも、お風呂に入ったらちょっと目が覚めて、21時を少しだけ過ぎた頃、まゆずみが配信をしているのを思い出して、なんとなく見るかー、の気持ちで、ようやく見に行った。

普段配信を全然リアルタイムで見ないわたしという人間が、ツイッターやほかの媒体なんかじゃなくて、わたしはまゆずみの言葉でまゆずみの活動終了をいちばん最初にまゆずみから受け取ることができたことを、ばかばかしいかもしれないけれど、ものすごいタイミングの運命だ、と思ってるよ。本音では。だって別に何も察知してなかったのに、それなのにちゃんとまゆずみの言葉でこのことを知れたなんて、ねえ。そんなちゃちい運命いらないかもしれないけど、わたしにとっては本当に有り得ないくらい大事なことだよ。

 

まゆずみが活動終了、という言葉を選ぶこと。それは満足のいく卒業、というものではないからだと不躾な憶測で思っていて。配信中何度も何度もごめんって謝るの見てるの、めっちゃつらかったよ。まゆずみが謝ることじゃないよ。リスナーが謝ることでもないよ。そもそも謝るべきことなのかどうかすらわかんないけど、でもこの場で謝るって選択肢を採ることがあんまりにまゆずみすぎて、もうなんか、呆然とするしかなかった。活動終了の理由説明にゆっくり解説動画作ってくるところもね。笑 本当にまゆずみらしいよ。何がまゆずみらしさなのかわかんないようなわたしにすら、こういう節々でまゆずみらしさを実感させてくれるの、本当に最後まで自分であってくれる人だなあと思って、配信終わってすぐアーカイブを見返して、そこでやっと、めちゃくちゃに泣いた。そういうまゆずみを好きになったよ。だから、まゆずみが作り上げたまゆずみをこれからじわじわ裏切っていくことになるのが怖くて耐えられないっていうのは、わかる気がするよ。何よりクリエイターとして自分の活動に誇りと自負をもってやってきた人だと思ってるし、そういうところを何度も何度も好きだと思わされてきたから。でも、そんなつらいこと言わなきゃいけないくらいまゆずみは参ってたんだなって、今更わかって、情けないやら切ないやら苦しいやらもう何が何だかぐちゃぐちゃの感情のかたまりが喉の奥からせりあがってきて、泣くしかできなくて、結局それも情けないなと思うよ。でも、どうしようもなくあなたのことが好きだよ。こんな文章書きながら、しゃくりあげるほど泣くくらいには。

 

わたしね、ほんとなんか、たぶんめちゃくちゃ怠惰なんだと思うんです。自分のこと。だからたぶんだけど、まゆずみが活動終了してしまっても、するまでの間も、大して変わんない生活を送ると思う。気が向いた時にしかまゆずみの配信見ないと思うし、これ面白そうだなーって思う配信は限られると思う。だからこの1ヶ月弱、まゆずみにふれる頻度が上がるかどうかは正直わからない。

わからないんだけど。わからないんだけどさ。でもさ、どうしようもなくすごくすごくすごくすごく、さみしいんだよ。まゆずみの配信がこれからずっともうないことも、まゆずみのツイッターがもう動かなくなることも、まゆずみが生きていることを感知できなくなるのも、わけわかんなくなるくらいさみしいよ。嫌だよ。ずっとそばにいてよって思っちゃうよ。終わりを突きつけられたっていうそれ自体が、わたしはすごく切ないし嫌だし受け入れたくないし、何よりどうしようもなくさみしいよ。失わないとわかんないなんてそんなの当たり前で、失うなんて思って好きになることなんてないよ。好きなものやことやひとはずっとそこにあってくれるものだって無条件で信じられるから好きになってしまうんでしょ。

 

ツイッター見ると、色んな意見がある。最後の1ヶ月応援する、とか、まゆずみが生きたいように生きてくれたらいいよ、とか、まゆずみが受け入れられないような方向性の違いってえにからはどんな提案したんだ、とか、まゆずみがまゆずみでいるために活動終了を選んだことはすとんと腑に落ちる、とか。色んな意見があるよ。

今のわたしは、どれもわかるし、どれもわかんない。1ヶ月応援したいけど、それが最後なんて嫌だし、生きたいように生きてくれたらいいってわたしも思うけど、生きたいように生きてくれたその生き様を見られなくなるのは嫌だし、まゆずみが受け入れられないような提案すんなよっていうのもわかるけど、えにからだって企業なんだから、とも思うし、まゆずみがまゆずみでいるために活動終了を選ぶのはわたしだって腑に落ちるなわかるなと思うけど、でも、でも、そんなこと全部取っ払って、嫌なんだよ。嫌だ嫌だ嫌だ。いかないでほしい。ずっとここにいてほしい。わたしが感知できる場所にいてほしい。さみしい。置いてかないでほしい。置き土産みたいにボイス出すって言わないでほしい。こんな最後の最後まで配慮の鬼であることを見せつけないでほしい。またひとつ好きにさせてどうすんの。あんたいなくなんのに。

 

V最飯屋のことだって、その他のことだって、全部今になって憶測で噴出してる"エモ"であって、その時その時で得た所感を後ろから出てきた事実で塗り替えたくなんかないなって、正直思ってる。から、ツイッター見てるとお前ら適当にもの言ってんじゃねえ、って怒りたくなる。そのあと行き場を失って泣きたくもなるけど。

 

ぐちゃぐちゃな気持ち、ひとつひとつ拾い上げて整理してまとめて、ダンボールに詰められるようになるまでどれくらいかかるのかな。チャンネルもアカウントもアーカイブも残るのはうれしい、うれしいけど、けど、でも。これからもまゆずみの配信アーカイブをちまちま見て生きていくけど。でも。

さみしいって気持ち、どこに片付けたらいいかわかんないよ。まゆずみが教えてくれないから。